1861年(文久元年)4月1日、英国人のFrederick CornesとWilliam Gregson Aspinallの両名が、横浜の外国人居留地にAspinall, Cornes & Co.を設立する。その後、1868年(明治元年)の神戸港の開港と同じ年に、神戸外国人居留地「神戸1番」に神戸支店を開設し、事業を拡大していくことになる。
1837 | 9月21日、Frederick Cornesが、絹工場主、John Cornesの次男としてイギリスのMacclesfieldに生まれる。 |
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1858 | Frederick CornesはマンチェスターのHollyday Wise商会から派遣され上海の義記(Nie-Ke)に赴任する。 |
1859 | 安政6年、横浜港開港。 |
1861 | 万延2年/文久元年 4月1日、William Gregson AspinallとFrederick Cornesの両名が、横浜にAspinall, Cornes & Co.を設立。資本金は100ポンド。 当初は絹と緑茶の輸出を行っていたが、その後ランカシャーの綿製品、金属、消費財、石炭、ケロシンの輸入業にも拡大する。 |
1862 | 文久2年 8月、絹のみを運搬するロンドン直行便としてロメオ号(403t)を運行。 |
生麦事件島津藩士に斬りつけられたCharles Lenox Richardsonの検死がW. G. Aspinallの自宅で行われる。 | |
1863 | 文久3年9月、蒸気船サラ号を長崎経由で上海に向けて運行。 |
9月4日、ほぼ独占的に東アジアへの蒸気船を運行していたP&O社(The Peninsular and Oriental Steam Navigation Company)の代理店になる。 その後、P&O社の神戸寄港第1号船となるアゾフ号(700t)が1868年2月に入港、その取り扱いをAspinall, Cornes & Co.が行った。 |
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9月12日、P&O社の代理店としてアデン号(812t)を運行。 | |
1867-69 | 慶応3年、Aspinall, Cornes & Co.の絹の輸出量は、当時の外国商社の中で第一位であり、全体の7%を占める。 |
1868 | 慶応4/明治元年、ロイズ(Lloyd's)の日本における最初の代理店となる。 |
7月24日、神戸の「居留地1番」(521坪)を1,693円25銭で購入。 | |
12月4日、神戸支店を開設。(後、1877年に7番に移された。) | |
1869 | 明治2年8月29日、ビクトリア女王の息子であるアルフレッド皇子がガーラティー号で来日。 250人を越す在日英国人を代表してW. G. Aspinallが謁見。 |
1873 | 明治6年3月31日、W. G. Aspinallが引退。 |
4月1日、Cornes & Co.を設立。 | |
1879 | 明治12年 10月3日、W. G. Aspinallが横浜にて57歳で逝去。 |
1888 | 明治21年、Ben Line of Steamersの代理店となる。 |
第二次世界大戦中は休業を余儀なくされるが、戦後ほどなくして、日本国内での事業を再開することとなる。当初、絹織物と緑茶の輸出から始まったビジネスは、一般消費財、保険事業、産業機材などへと多角的に展開していくことになる。
1927 | 8月27日、Frederick Cornes 89歳で逝去。その後、次男のArchibald John Cornesが第二次世界大戦まで経営。戦時中の1941年まで、横浜と神戸にて日本での事業を継続。 |
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1947 | 第二次世界大戦後、香港のWheelock Marden and Companyグループの一員として、東京都千代田区霞ヶ関にて事業を再開。(東京本社は1949年に一時的に中央区京橋に移転した後、中央区宝町へ、1953年に中央区日本橋、1994年に千代田区東神田、2001年に港区芝へ移転。) 事業再開当初のビジネスは、保険、損害査定、海運代理店業、機器類に始まり、後に電子機器、航空機、一般貿易、自動車へと拡大していくことになる。 |
1949 | 横浜市中区山下町43にて横浜支店が再開。(後、1957年に山下町75、1963年に山下町58、1970年に山下町252、1983年に本町、1997年に山下町273へ移転。) |
神戸市生田区新港町にて神戸支店が再開。(後、1950年に葺合区磯辺通、1964年に生田区京町、1981年に中央区海岸通2丁目2番、1995年に中央区海岸通2丁目3番へ移転。) | |
1950 | 大阪市東区備後町に、大阪支店を開設。(後、1957年に東区淡路町、1966年に西区西本町へ移転1988年に大阪支店ビルを改築。) |
1951 | 横浜と神戸において、「ロイズ・エージェント」の再アポイントを受ける。 |
1952 | 世界初のジェット旅客機、英国デ・ハビラント社製「コメット」の売り込みを開始。 コメットの後継機種「トライデント」3機を日本航空から受注したが、後に金属疲労が原因と究明された各国での度重なるコメット墜落事故が災いし、米国航空機メーカーの台頭を許すことになる。 |
1953 | 世界最古の船主責任保険組織である「ブリタニヤ」より、横浜と神戸において、保険事故の求償処理窓口(Representative)としての指名を受ける。 |
1956 | 英国デ・ハビランド社製双胴ジェット機「D.H.115バンパーヤー」を航空自衛隊に納入。(同機は現在、航空自衛隊浜松広報館エアーパークに展示されている。) |
1958 | カナダデ・ハビランド社製「ビーバー」が「昭和号」として南極観測隊で活躍。 |
1959 | 米国ジョンソン・エンド・ジョンソン社の日本に於ける代理店として「バンドエイド(当時100円)」、「ベビーパウダー(当時150円)」を発売ヒット商品となる。 これらの製品は、大田区、横浜市戸塚区にあったコーンズ自社工場にて国内パッキングが行われていた。 |
1961 | 日英電子工業(株)(AJEC)を英国マルコニー社と設立。スポット信号発生機(Spot Signal Generator)の販売を行うとともに、測定器4機種を国産化。この頃、日本には同等の製品、技術は存在しなかった。 60年代の日本の造船活況期、コーンズは船舶用無線機やレーダーの輸入販売も開始し、船舶機器の市場をリードした。 |
英国ロールス・ロイス & ベントレー・カーズ社の輸入権を獲得。自動車事業が開始され、英国ローバー社、英国アストン・マーティン・ラゴンダ社、英国ジェンセン社の輸入権も獲得する。 | |
大英博覧会が東京晴海で開催され、ベントレーS3コンチネンタル、マルコニー社製大型船用衝突予防レーダー、男性化粧品、バス・ビール(Bass Beer)等を展示。数ある出展者のなかでコーンズが最大の展示規模を誇った。 | |
東京オリンピックの選手村に英国ゲステットナー社製印刷機を提供。 コピー機の登場以前、ゲステットナーの印刷機は、日本の公官庁、学校、企業の市場を席巻した。 |
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1965 | オイル・タンカー搭載の石油の凝固を防ぐ英国スチール・エンジニアリング社製の加熱コイル(Heating Coil)の納入が好調となる。 |
1966 | 大阪本町に自動車ショールーム(大阪市西区西本町)を開設。 |
1968 | 鉱石・オイル兼用船向けの英国スチール・エンジニアリング社製脱着式加熱コイル「Liftagird」の納入が好調となる。 |
名古屋港浚渫の位置測量用として、英国デッカ社製の電波航法装置「Hi-Fix」を運輸省第5港湾建設局に納入。 | |
酪農機械施設の輸入・販売を行う(株)コーンズAGを設立。 | |
日本における「ロイズ・エージェント」として100周年を迎える。 | |
1969 | 英国デッカ社製の電波航法装置「Hi-Fix」を利用した海上精密測量を行う日本電子サーベイ(株)を設立シェル石油、三菱商事合弁の西日本石油開発(株)による大陸棚石油探査に参加。 |
英国ゲステットナー社の輪転謄写機やオフセット印刷機を販売する会社として、ゲステットナー(株)を設立。 | |
1970 | 米国テロニック社製高周波計測器「Sweep Generator」を国内の大手チューナー製造会社に大量納入。国産製品が現れるまでの10年間、市場をリードする。 |
船主や本船運航者の第三者賠償責任を担保する「PI保険」に年間500隻程度の遠洋トロール船を主とする日本漁船が加入。 | |
従来型の貨物船からコンテナ船の時代を迎え、コーンズが海運代理店業を行ってきた英国ベンライン社が日本で独立。 | |
札幌市北7条23丁目に、札幌支店を開設。(後、1981年に中央区北11条西14丁目、1995年に北海道支店として恵庭市北柏木町へ移転。) | |
北九州市門司区港町に、門司営業所を開設。(後、1985年に廃止。) | |
1971 | 運輸省第3港湾建設局に瀬戸内海、大阪港浚渫の位置測量用として英国デッカ社製電波航法装置「Hi-Fix」を納入。 |
1972 | 生産工程における紙や鋼板の異物をレーザーを使って高速検出する英国フェランティ社製欠陥検査装置「Laser Scanning Analyzer」の販売を開始。以降、国産化を実施し、15年間に渡り100ユニットを販売した。 |
1973 | 半導体ビジネスを開始。英国プレッシ-・セミコンダクター社製半導体から始まったビジネスは、CML社、CSR社、ミクロナス社、SiGe社の製品群を加え拡大する。 |
護国寺自動車サービスセンター(東京都豊島区)を開設。 | |
カナダ・デ・ハビランド社製 DHC-6 ツイン・オッター シリーズ300型航空機を南西航空(現日本トランスオーシャン航空)に納入。 | |
1974 | 宇宙開発事業団筑波研究所の電波暗室棟(EMC)に米国フェアーチャイルド社製電磁適合試験装置と三井金属エンジニアリング社製シールドルームを納入。国内初の本格的EMC試験装置であり、以後コーンズはこの分野でパイオニアの地位を得る。 |
寝屋川自動車サービスセンター(大阪府寝屋川市)を開設。 | |
カナダ・デ・ハビランド社製 DHC-6 ツイン・オッターシリーズ300型航空機を日本近距離航空(現エアーニッポン航空)に納入。 離島間航空輸送の先駆として、沖縄と本土間、北海道の周辺において、約30年にわたり住民の足として活躍した。 |
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1975 | 英国EEV社製のマイクロ波発生器「マグネトロン」を大手レーダー製造会社へ販売。 1990年代には国内で大きなシェアを獲得することとなる。 |
英国プレッシ-社製周波数分割器(Frequency Divider)の拡販を開始。国内初Synthesized TVチューナーに採用され、以降電子チューナーが世に認められるようになる。 |
1976年にイタリアフェラーリ社の日本総代理店となり、世界最高峰のスポーツカーの輸入を開始する。その後、ロールス・ロイス、ベントレー等のハイエンドブランドの販売からメンテナンスまでを幅広く手掛けることになる。
1976 | イタリアフェラーリ社の日本総代理店となる。 この年に、日本で最初のF1グランプリが開催され、以降日本で開催される全てのF1グランプリにおいて、フェラーリF1チームのサポートを行う。 |
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1979 | 横浜自動車サービスセンター(横浜市旭区)を開設。(護国寺自動車サービスセンターの機能を継承。) |
1980 | 日本最初の消防救助用非冷却式赤外線カメラ(英国EEV社製)を大阪市消防学校に納入。 |
1981 | 英国ベ-リング・リー社製電波暗室(Shield Room)を日本原子力研究所核融合実験施設に納入。 |
1983 | 英国インフラレッド・エンジニアリング社の赤外線測定装置の販売を行うインフラレッド・エンジニアリング(株)を設立。赤外線測定装置は、厚み測定に加えて、水分測定、アルコール濃度測定に活用される。 |
1985 | Hong Kong and Kowloon Wharf Companyグループに入るが、その後独立して現在に至る。 |
1987 | 英国ブリティシュ・エアロスペース社製麻薬探知機「コンドル」が日本の主要港湾税関に設置される。 |
1988 | 芝浦自動車ショールーム(東京都港区)を開設。 |
名古屋自動車ショールーム(名古屋市中区)を開設。 | |
1989 | フェラーリ・オーナーのクラブ組織「Ferrari Club of Japan」を設立。 |
英国ブリティシュ・エアロスペース社製「BAe-125」が航空自衛隊飛行点検機として採用される。 | |
コマーシャル・ユニオン保険会社の代理店を行う部門が独立。 | |
東大阪自動車ショールーム/大阪自動車サービスセンター(大阪府東大阪市)を開設。(寝屋川自動車サービスセンターの機能を継承する。) | |
1990 | 平成明仁天皇即位の礼の御料車として英国ロールスロイス社製「コーニッシュ」を宮内庁に納車。 |
オーストラリアインキャット・デザイン社の設計による軽合金製高速双胴船「ウェーブピアサー」をシーコム(株)より受注。日本初の軽合金製日本船籍旅客船「シーコム1」はオーストラリアのクィーンズランドで建造された後、自航で日本へ回航した。 | |
損害保険および生命保険の募集代理店業務を開始。 | |
ゲステットナー(株)をミノルタに売却。 | |
大沢自動車(株)東京支店の業務を吸収し、コーンズモータース(株)を設立。 大橋自動車ショールーム(東京都目黒区)を開設。(後、1993年に閉鎖。) |
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1991 | 英国ブリティシュ・エアロスペース社製「BAe-125」が航空自衛隊の救難捜索機として採用される。 |
計測環境近代化プログラムを進める航空自衛隊の訓練水域での飛行試験管制システム(FTCS)に、米国EMP社製の無人計測地上局を納入。 | |
東名横浜自動車ショールーム(東京都町田市)を開設。 | |
1992 | 東雲自動車サービスセンター(東京都江東区)を開設。 |
東名横浜自動車サービスセンター(東京都町田市)を開設。 | |
1993 | 郵政省通信総合研究所の首都圏地殻変動計測システム(VLBI)向けに、米国トラック・システムズ社製GPS時刻発生器と信号分配機器を納入。 |
1994 | ブリタニヤの専属コレスポンデントとしてP&I保険クレームに関するコンサルティングサービスを行うコーンズP&I社が独立。 |
1995 | 阪神淡路大震災で英国EEV社製赤外線カメラ「ARGUS」が人命救助・捜索赤外線カメラとして活躍。 この活躍が認められ、翌年から自治省より高度消防救助資機材としての認定を受け、日本全国の消防本部に納入が開始された。以降、500台以上が消防庁、海上保安庁、海上自衛隊、警察庁、国際救助隊等に納入される。「ARGUS」は災害救助用赤外線カメラとして国内トップシェアを得る。 |
1996 | 携帯電話基地局設置のために、米国ノイズコム社製電波伝播のシュミレーションツール「フェ-ジングアナライザー」をNTTドコモを始めとする大手通信機器メーカーに販売。 |
1997 | ロシア船籍タンカー「ナホトカ」号原油流出事故の海洋汚染損害の査定を行う。 これにより莫大な賠償金が発生し、以後、海運業界は海洋汚染対策に力を入れることになる。 |
イタリアマセラティ社の日本総代理店となる。 それまでの日本総代理店であった(株)ガレーヂ伊太利屋を吸収し、コーンズ・イタリア(株)を設立。 |
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世田谷自動車ショールーム/自動車サービスセンター(東京都世田谷区)を開設。 | |
1998 | コサ・リーベルマン(株)の一般機材部門を吸収。 |
1999 | 英国BNFL社製放射線検査装置「WCAS&WDASシステム」を受注。 |
青森県六ヶ所村に建設された核燃料棒再処理工場より英国IST-Rees社耐放射線カメラ、合計49台を受注。原子力発電所向けの国内実績も600台を超える。 | |
家畜の糞尿から発生するメタンガスをエネルギー化する「バイオガス・プラント」を扱うコーンズ・シュマックバイオガス(株)を設立。 |
2000年に日本最初の個人酪農家向け「バイオガス・プラント」を北海道江別市に建設し、家畜の糞尿から1日1,365kWhの電力を発生させることに成功する。その後、2008年には環境関連の事業部を新設し、本格的にバイオガス事業に進出することになる。
2000 | 独立系保険ブローカー間の国際的サービスネットワーク「Assurex Global」の日本における構成員となる。 |
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日本最初の個人酪農家向け「バイオガス・プラント」が北海道江別市に完成。家畜の糞尿から、1日1,365kWhの電力を発生させることに成功。 | |
2001 | 芝自動車ショールーム/自動車サービスセンターを開設。(芝浦自動車ショールームの機能を継承。) |
2002 | 英国BNFL社製放射線検査装置「PIMS」を受注。 |
福利厚生関係に特化した、独立系保険ブローカー間の国際的サービスネットワーク「InternationalBenefit Network」の日本における構成員となる。 | |
酪農学園大学(北海道江別市)に事業出資を行い、最新機器を活用した酪農の実践施設「コーンズ・エコファーム」を設立。 | |
東京自動車サービスセンター(東京都港区)を開設。 | |
2003 | 産業機材関連機器を扱うドッドウェルジャパン(株)を吸収し、コーンズ ドッドウェル(株)を設立。(後、社名をコーンズ テクノロジー(株)に変更。) |
「バイオガス・プラント」が「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法に基づく制度(RPS制度)」での認定発電施設となり、電力の販売を開始。 | |
青山自動車ショールーム(東京都港区)を開設。 | |
2004 | 東雲自動車サービスセンターを開設。 |
2005 | 名古屋・栄自動車ショールームを開設。 |
オーナー向けサーキットイベント「CORNES Festival」を富士スピードウェイで開催。 | |
大阪・梅田ショールームを開設。 | |
2007 | 六本木ショールーム(東京都港区)を開設。 |
横浜ショールーム(神奈川県横浜市)を開設。 | |
2008 | 環境関連事業を行うコーンズ・バイオガスが札幌市に発足。 |
2009 | 大阪サービスセンターを大阪南港に移設。 |
2011 | 設立より150周年を迎える。 |
2012 | 自動車事業を分社化し、コーンズ・モータース(株)を設立。 |
2013 | ランボルギーニの販売代理店となり、青山ショールームなどで販売を開始。 |
2016 | 東雲サービスセンターⅡを開設し関東エリアの車両整備拠点の集約と拡充を計る。 |
2018 | キッズ&ベビーアパレルブランド「JACADI(ジャカディ)」を展開するフランスのJACADI SAS社と、日本国内におけるフランチャイズ契約を締結。 |